「僕が僕であるために」

>>> 前号より続く
その他にも、たとえば「OH MY LITTLE GIRL」は、
フジTV系のテレビドラマ『この世の果て』の主題歌となり、
尾崎の死後に初めてオリコンシングルチャート1位を獲得、
初のミリオンシングルとなった究極のラブ・バラードですし、
北の国からでも使われた「I LOVE YOU」に至っては、
今ではこの歌をカバーしている日本人アーティストだけで29人!
英語はもとより韓国語や中国語、フィリピンなどでも訳され、
カバー曲を含めた総売上は全世界で1,000万枚に達する尾崎の代表曲となっています。
“反逆のカリスマ” はまさに世間がつくりあげた偶像であり、
生前の彼自身、こんなふうに語っており。。
僕自身のプライベートな気持ちを書いているだけなのに、大人への反発、社会への反発を歌っているととられている。それに気づかないでいたと思う。敵をつくるとか、反発するとか、そんなことだけじゃしょうがない。それだけで終わっちゃ何もならない。敵をつくるだけじゃ、かえって自分を追い込むだけだ。もっと違う何か、僕自身が探し続けていることを歌っていきたいんだ
また一方で彼は、
なんとなく暮らしやすくなった、みたいに思うかもしれない。だけど、そういう暮らしやすさに妥協して、本当に大切なもの、失くしちゃいけないものを、失っていく怖さみたいなものを、僕はいつも感じている
とも、そして、
なぜ人間が生まれてきたのか、とか、自分自身の存在する意味、みたいなものを考えてしまう。人ごみの中で、人波に疲れたり、逆にほっとするとか、誰もがそういう気持ちで歩いている。それは結局誰もが日常に追われているに過ぎないんじゃないか、それが果たして本当に何かに向かって生きていることなのか。 俺は少なくとも自分自身の真実をつかむために一日一日を生きていきたい
とも・・・
『十七歳の地図』の最後に収められている
僕が僕であるために
は、そんな彼の心情と信条が見事に表現された宣誓文であり、
(結果的に)世間と対峙してしまった尾崎の、
追いつめられてしまう末路を予見させるかのような詩かもしれませんが、
今では高校教科書に「15の夜」の歌詞が掲載され、
自ら作詞・作曲した歌の世界に没頭しながら全身全霊をこめて歌い
と記述されているように、
たとえ、
「尾崎豊を知っているか」と、問わなくても、         
「尾崎豊」を強要 せずとも、
尾崎豊の再評価が不要 だと断じられようとも、
真実や愛と自由、正しいものは何なのかを求める若者の心には、
尾崎の魂のメッセージはきっと刺さるでしょうし、
坂本龍馬のように、
おそらく100年の後には、
もっともっと大きな存在として、真の評価を得ていることでしょう。
ということで、
“尾崎フリークの戯言” と御笑覧頂きつつ ^ ^
彼のデビュー・コンサートでの最後の曲「シェリー」と、
その素晴らしいMCの映像を最後に、
とりあえず、私なりの “尾崎豊論” を〆たいと思います。


おまけ
唯一のTV生出演時の映像です。